2月に世田谷パブリックシアターで上演されている『黒百合』、2/12と2/17〜2/19の4公演を観劇しました。
そもそも私は世田谷パブリックシアターが大好きで、そして杉原邦生さんの演出が大好きで、音楽はレジェンド宮川彬良氏。こんなの、気になりすぎる、、、!とはいえ私は関西在住なので安易に東京に行くことも難しく、泣く泣くパス、かな、と思っていたその時!!
主演:木村達成
大好きな劇場に、大好きな演出家に、大好きな俳優が揃ってしまったのです。い、行くしかねえや〜〜〜!!
そして迎えた2月。期待通り、いやそれ以上の感動とエネルギーを与えていただきました。叶うなら、友人知人全員に観てほしかった。そしてやっぱり木村達成さん、ありがとうございます。

⬇️こちら舞台映像です、もし観劇していない方で読んでくださっている方がいらっしゃったら!是非に!
- ⚫️だって激アツ展開すぎる
- ⚫️雪は存在するか?
- ⚫️パラレルワールドモウセンゴケ
- ⚫️黒百合
- ⚫️杉原邦生さんの演出が本当に
- ⚫️人間の表現の可能性
- ⚫️世田パブの怪人になりたい
- ⚫️ねぇ、木村達成さん
- ⚫️''黒百合''を見つけられるか
⚫️だって激アツ展開すぎる
''激アツ展開''なんて言ってしまうのは少々憚られるのですが、仕方ありません。だって激アツ展開だから!
舞台化にあたって、滝太郎の成長にフォーカスを当てて再構成されているなと感じていて。やってはいけないと人に言われたことをやってしまう、しかも「おいらのせいじゃあないぞ」と言い訳もしていた滝太郎。母を失った心の穴を埋めるかのように盗みを続ける滝太郎。金も地位も持っているのに、本当に欲しいものを手に入れることができない滝太郎。そしてこれは洪水後のモウセンゴケのシーンですが、「失うのが怖いから何も欲しくない」と言う滝太郎。そんな滝太郎が、雪のことを本当に欲しいと願って、母親の形見の指輪も差し出して、絶対に手に入らないと分かっても雪のことを守り抜いて、最後には雪を失ってしまうけれども前を向いて海に漕ぎ出すのって、激アツ展開以外の何物でもないんですよ!!正直1回目はピンと来なかったのですが、原作読んで2回目観たときには、もう、!この物語の展開に興奮が止まりませんでした!あの滝ちゃんが、、、とお兼目線で観てしまっていました、、、。そして原作にはあまり無かった滝太郎と母親の描写を印象的に描いた藤本有紀さんの脚本に痺れました。あの原作をここまで分かりやすく感情移入しやすく再構成できるものなのか、と、プロの仕事に感動しました。
私は指輪のことを大切だと言う場面に胸アツを感じていて。冒頭で勇美子から指輪について聞かれたときはなんだか恥ずかしそうに?躊躇うように?この指輪は大事なんだと言うのに、後半で雪に聞かれたときには堂々と大切なんだと言うのも滝太郎の成長を感じるんですね。自分の大切なものを「大切なものだ」と認識して、それを堂々と人に言えるようになったんだとちょっぴり感動しました。冒頭の滝太郎は、大切なものを失うのは怖いから、心の底では大切だと思っていても大切だとあまり自覚しないようにしていたのかなと思ったりしています。
そしてやっぱり洪水の場面は必死に2人を守り生き延びようとしている滝太郎が美しくて眩しくて涙が出てしまいますね!これまでの滝太郎なら、もしかしたら雪だけを助けていたかもしれないと思うのですが、拓も助けるという選択をすることができたのは滝太郎が成長したからだろうと思います。
雪の最期に滝太郎にむけて「どうして私を見つけなさったの?」というセリフがあるのですが、「見つけた」なのか、と思いまして。滝太郎は雪を、本当に欲しいものを「見つけた」のかとふと思いました。そして雪が滝太郎の指輪で赤い帯を切るんですね。
お分かりいただけましたか。
雪が滝太郎の指輪で赤い帯を切るんですね。
これ友人の考えを聞いて思いついたんですけど、滝太郎はここで雪と同時に母親(への執着や幻影)も失うんです。母親の形見の指輪で、母親の着物の色である赤色の帯を切るんです。滝太郎の欲しいものといえば雪ですが、根本には母親の愛を渇望している滝太郎が居ると思うんですよ。滝太郎が欲した母親とも決別し、それでも前に進む滝太郎の姿は何度観ても胸アツ。そしてこの雪の帯はへその緒のようにも見えるので、ここで滝太郎は欲しいものを欲する人間らしい人間として産まれたのだろうと思います。
⚫️雪は存在するか?
雪は本当に存在するのか?何者なのか?という話題は度々出ていますが、製作側でも解釈の余地があるように作っているようで。初見のときは雪が存在するか否かなんて思いつくほど理解できていなかったのですが、ちょうど3回目のときに、雪には実在していてほしくないと強く思いました。
この物語が滝太郎の成長を描くものだとしたら、なんだか雪が滝太郎を成長させるための装置のように見えてきてしまうのです。拓だけでなく滝太郎や勇美子にあんなにも献身的だった雪が最後には亡くなってしまうなんて、悲しすぎませんか、、、。もちろん岡本夏美さんと杉原邦生さんが仰っていたように、雪は最期に自分で大きな決断をすることができたのだからハッピーエンドだという解釈も理解できます。でもやっぱり悲しいので、雪は人間であってほしくない、妖精さんであってほしいと思ってしまいます。
あとは、滝太郎と拓は岩滝で精神的な攻撃を受けていますが、雪は物理的な攻撃しか受けていないのも気になります。(とはいえ全部滝太郎が守ってくれるんですけど)雪ってあまり内面が深掘りされていない人物でもありますし、典型的な良き妻というキャラクターで、そういう意味でも人間らしくないなと感じます。
⚫️パラレルワールドモウセンゴケ
洪水後の滝太郎と勇美子のモウセンゴケの場面を勝手にパラレルワールドモウセンゴケなんて呼んでいるのですが笑(2/18アフトにて、この場面をパラレルワールドなのかな?と皆さん仰ってたので)
この場面をここに持ってきたのは本当に感動しました。雪を失った後に滝太郎の「失うのが怖いから何も欲しくない」という本音が提示されるのが悲しくもあり、寂しくもあり、、、。でもだからこそラストの船の場面での滝太郎が眩しく見えるんだろうなとも思います。
そして勇美子、というか滝太郎母のセリフがまた提示されるのも感動ポイントですよね。雪に指輪を渡すときの滝太郎の言い訳「おいらのせいじゃあないぞ」って多分母親に向かって言ってるんだと思うんです。滝太郎的に「形見の指輪を渡してしまって、母は怒らないだろうか」という思いがあったんじゃないかと思うんです。しかも雪は亡くなってしまうし。でもここで母親の「滝太郎はなんでも好きなことをしなさい」というセリフが入ることで、滝太郎が許されたというか肯定されたような気がしました。そして母親が滝太郎の背中を押しているようにも見えました。原作には無い描写ですが、ここの構成すごく好きです。
⚫️黒百合
滝太郎も雪も黒百合に引き寄せられるように岩滝へ入っていきますが、滝太郎は本当に黒百合が欲しかったのでしょうか。
もちろん滝太郎は、雪の「黒百合を見てみたい気がする」という言葉やお兼の説教を聞いて黒百合が欲しくなったのだろうとは思います。でも1幕ラストで黒百合を手に入れたとき、お兼の言ったように精霊が隠し持つ黒百合を手に入れたとき、その黒百合ですら本当に欲しい物ではなかったと気付いてしまったのではないでしょうか。そして、雪を助け雪に言葉をかけられる中で、雪がたまらなく欲しいと思ってしまったのではないでしょうか。
私は、黒百合を「欲しくてたまらないもの」の象徴だとするならば、滝太郎にとっての黒百合は雪なのではないかと考えています。だからこそ、船を漕ぎ出すときに黒百合を持った雪が、彼らの目の前に立っているのだと思います。
⚫️杉原邦生さんの演出が本当に
私が邦生さん演出の作品を初めて観たのは、2022年の『血の婚礼』です。こちらは映像で観たのですが、役者さんの熱量はもちろん、演出の面白さにも圧倒されたのをよく覚えています。そして生で観たのは2024年の『モンスター』、邦生さんと原口沙輔さんのアフト回で聞いた話が勉強になりすぎて、邦生さん演出の作品をまた観たい!と思いました。
『血の婚礼』でも『モンスター』でも、音や音楽と芝居をリンクさせる演出をされていたのが印象的で、私がずっと音楽をやっていたこともあり、それがすごく刺さったんですね。今は自分でも演劇をやっていますが、演出をつけるときにちょっと参考にしてみているくらい、邦生さんの演出が好きです。
今回の『黒百合』はとにかくショーとして完成していると強く思います。ただただ見ているだけで楽しい。2/17のポストトークを聞いていると、邦生さんの根底にはテーマパークでのショーがあるからこのような演出になるのかなと思いました。そしてト書きをデジタルではなくアナログでやろうと決めた話もめちゃくちゃ勉強になりました、、、。意図的でなくデジタル表現を使用するのって、演劇でやる必要があるのかという思考には同意しますし、アナログにこだわったことで『黒百合』の魅力を余すことなく表現できたのだと思います。あとは、演劇はお客さんと想像力を共有するものなんだという話も。やる側として難しいなとは思いつつも、その通りではあるんですよね。邦生さんのお話聞けて本当に良かったです、、、。そして邦生さん演出の作品観て、また何か創りたいと思いました、、、。
⚫️人間の表現の可能性
もちろん物語自体にも感動したのですが、私がこの作品で一番感動したのは身体表現であったり人力で表現している場面なんです。作品を通して何かを欲しいと望むこと=生きているということが提示されていると思っていて、その欲望は生々しいというか気持ち悪い部分もあると思います。そこで生身の人間を使うことでその生々しさ・おどろおどろしさが上手く表現されていると思うんです。そしてそれが美しくも見えるし、魅力的にも見えるんです。この表現にめちゃくちゃ感動して感動シーンでもないのに泣いてしまったんですね、、、。
まず冒頭、植物の芽が出て葉が出て伸びていくように人々が生まれ、そして夜が明ける。ここ初めて観たときからずっと大好きな場面なんですけど、1階後方センブロで観たときに夜明けがあまりにも夜明けで、舞台後方からの照明がめちゃくちゃ美しくて本当に感動して涙が出ました。そして2幕始めの魑魅魍魎の場面、ここってちょっと不気味じゃないですか。でもそれが生き物の生々しさを感じて、目の当たりにしたような気持ちになって初日はここで泣いたんですよね。やっぱりこの作品はト書きの部分も人間を使ってやるからこそ魅力が何倍にもなるんだと思います。
これ観てない人に伝えるのがめちゃくちゃ難しくて本当に悔しいです。究極、目の前で生身の人間が表現していて、舞台上には山があって、客席が揺れるほどの轟音があってこその舞台『黒百合』なんじゃないかと思ってしまって、、、。公式から出てるダイジェスト映像見てもやっぱりあの感動は体験できなくて、、、。でも映像が無いと良さを伝えることができないのでせめて映像だけでも放送かなにかしてほしいです。あとは普通に上演台本読んでみたいですね、ト書きどうなってるのか気になります。
⚫️世田パブの怪人になりたい
私は2024年『空中ブランコのりのキキ』で世田谷パブリックシアターに訪れてから世田パブが大好きなのです。世田パブの立地や劇場内の雰囲気、天井の青空、世田パブで上演される作品が大好きなのです。が、今回また訪れて大好きポイントが増えました。
『黒百合』の舞台や座席表を見ていただくと分かるのですが、センターに花道があって、その先に客席下に続くハケ口があるんですね。

おそらく世田パブって前方席が可動式になっているのですが、それがめちゃくちゃ活かされているんです。そして照明がとにかく面白い。邦生さんも「機材をフル活用してる」と仰ってるくらい、使われてる照明の量や特殊効果の量がハンパないんですね、本当に面白い。
こんなものを見せられて、私は、
世田パブって、夢がある。
と感動したわけです。やってみたいことを何でもやれる可能性がある、新しいアイディアが生まれる可能性がある、世田谷パブリックシアターには、大きな夢があると思ったのです。
だから、私は、世田パブに住み着いて、世田パブの怪人になりたいのです。たくさんの人に訪れてみてほしい劇場です。
⚫️ねぇ、木村達成さん
私は俳優たちを応援するにあたって、「キャーー!カッコイイー!」という感情をできるだけ排除したいと思っていて。私は彼らのパフォーマンスに惚れているので、キャーキャー言うのはなんだか不誠実なんじゃないかと思い込んでいたのですが。
滝太郎カッコよすぎる。
単純にキャーキャーカッコイイ!と言えてしまう役で頭を抱えてしまいました。だって、全方向からの激強スポットライトを浴びて、雪をお姫様抱っこして輝いている滝太郎を見せられたら、そりゃあ、、、誰だってキャーキャー言いたくなりますよ、、、。そして純粋に木村達成さんカッコよすぎるよ、、、。ここ最近は一癖ある役が多くて、ただ真っ直ぐに突き進む役ってあんまりやってない印象だったので、真っ直ぐな達成さんの爽やかさが本当に素敵でした。
そして滝太郎って達成さんすぎるんです、!
眉も眦もきりりとした、その癖口許の愛くるしいのが
こちらは原作で滝太郎が登場したときの描写です。読んだ瞬間、それって木村達成だ、と思いました。
少年の眼は秋の水のごとく、清く澄んで星のごとく輝くのである。
こちらは拓の夢の中での滝太郎の描写。それって木村達成だ(2回目)
それだけでなく、2/18のアフトで出た話ですが、達成さんの「その日その瞬間の感情で芝居をする」というスタンスが滝太郎に合っていると邦生さんが仰ってたんですね。滝太郎は動物的な生き方をしている人だからと。いや〜、木村達成さんが滝太郎で本当によかったです。
あとほんとうに達成さんが出る作品にはいつも震えさせられているし毎度毎度この作品に出会えて良かったと思って胸がいっぱいになるのでもうマジで木村達成さんありがとうございますと感謝感謝の毎日でございます。
⚫️''黒百合''を見つけられるか
一応滝太郎と同世代の人間として、追い求めてやまないもの、言うなれば自分にとっての黒百合を見つけることができるか、黒百合を失っても前に進めるかと問われているような気がしました。
失うのが怖いから本当に欲しいものを得ることを恐れたり、本当に欲しいものが何か分からなくなったりするのは特に若い人に多いと思うんですね。もちろん生きていれば誰もが経験する恐怖ではありますが、生きている時間が短ければ短いほど何かを失う経験が少ないからより恐ろしく感じるのだと思います。そして現代においては、社会の不安定さやある程度情報や物を容易に手に入れられることなどによってそういった風潮が強くなっているような気がします。
『黒百合』は、身動きの取れなくなっている私たちの背中を押し、突き動かしてくれるエネルギーを持った作品でした。この先で何かを追い求めるとき、手に入れるとき、そして失ったときにこの作品を思い出すのだろうと思います。そしてこの作品の持つ生命力に、また動き出す勇気を与えられるのだろうと思います。
まぁ、、、今の私にとっての黒百合は舞台『黒百合』なんですが、、、。映像が放送されることを願います、😭









